不安を探している人生みたいよ。
絵を販売しようと思って、いろいろと構想を練る。
ホームページを作って、絵を額に入れて写真を撮って・・・。と。
構想を練ってるときは、すごく楽しくて、自分の夢に向かって歩いてるなあ、ってそう夢見ながらぽわあんとニヤニヤとしてるんだけど。

でも、実際に絵を販売するとなると、そこにはいろんな責任が伴う。
お金をもらって、絵を渡すわけだから。
もしや、わたしは自分の絵が販売できる絵だなんて、大きな大きな勘違いのなかにいるんじゃなかろうか。とか。

もし、私の絵が誰かのところにいったとして、その絵をおうちに飾ってもらったとして。
それを見た人が、絵の購入者の人に、「こんな絵を売ってる人がいるなんて詐欺だ」とか言ったらどうするの?
つまりだね、私はいろんなものが怖い。
評価されるということことは批判もあるわけで。私は少しの批判も怖くなる。

評価してる人がいう少しの批判。それは本質的に私のことをよしとしてる人でも、その中に少しの一部の批判が入ってたとしたら、私の耳はその批判のところばかりにいく。

変な話、変な話というか、これを書き出してる私がヘンなのだろうけども、
私を褒めちぎってる人がいたとして、ここの褒めちぎるとは、うそ臭いほどの褒めちぎりではなくて、
前文で書いてる少しの一部の批判もない評価だけであったとしても、私はきっとその中に嘘はないか不安になるし、そう、そう、全てが不安なんだなあ。

不安を探している人生みたいよ。
そうそう、それは私がすごく弱くて偏屈で、変なプライドに取り囲まれてて、じめじめしててね。
そういう人間だとういうことよ。

そういう感情というか、そういう薀蓄のような悩みにここ数日悩まされていて、
まさしく私は、絵を販売するという大きな出来事、私の第一歩を目の前にして、前へ進むという現実味あふれた状況を目の当たりにして、びびってしまって逃げてる毎日を過ごしているのだ。

でも、こんなこと、長く続けるわけには勿論いかんからなあ。

パパパッと描いた絵のほうが、よかったりするのは事実だ。
それはそれで嬉しい話ではあるんだけども、でも、そこに血のにじむ努力なくして描いた絵に価値をつけるべきなんだろかね。
芸術というものはそういうもんだろから、でも、一枚描く絵が、パパパッと描いた絵がパパパッが5秒だとしても、その5秒が生まれるまでのこと。1,2,3,4,5秒ではなく、1に入るまでのことが問題なんだって、そういうことを頭だけではなく心でもちゃんと分かるまで私自身がもう少しがんばる必要がある。
そして、がんばる必要は、きっと死ぬまであるんだろなあと、私は思う。

悩んで逃げてるのはそろそろ終わりにしようと思ってこの日記を書いてる。

絵を描こう。どんどん描いてこう。楽しいだけじゃない。それを仕事にしたいのなら、絵を描くプロになりたいんなら、どんな日も、絵を描こう。逃げたらあかん。
その日、その日が苦しくても、でも、描き続けてて、その全体の日を見たら絶対に満たされているんだと思う。

よし、ではまた明日。
| 2008/07/15 14:42 | 日記 | COMMENT(1) | TRACKBACK(0) | TOP↑ |
アクリル絵具で100号の絵に挑戦
ずっと、クレパスやパステルで絵を描いてきたのだが、最近はアクリル絵具で描くことが多くなった。

絵の具だと、筆を使うので細かい作業ができる。
また、アクリルはすぐに乾くので上から上から色を重ねることができる。

このブログもずっとご無沙汰してたが、ここ半年くらいの間に描いた絵を載せようと思う。

一番最近描いた絵、先週の日曜に仕上げた100号の絵。
はじめての挑戦だったので、すごく試行錯誤した。

描き始めはこんなかんじ。

P1070514.jpg



動物の顔をたくさんちりばめた。

色を塗っていくと

373778394_200.jpg

P1070598.jpg


これで仕上げて提出するつもりが、

納得いかないと思い出すようになり、うんうん唸ったあげく、
白でぬりつぶしたのだ。

そして、全くもって別の絵と変更になっていったのだ。


P1070606.jpg



この絵は、「新世紀展」に出展するもので締め切りがあったので、こんなに描き直していたから、時間があまりなく数日間、この絵を描くことだけに没頭した。

そして、仕上がったのがこの絵


P1070611.jpg



好みがわかれるだろうし、絵画的な厳しい評価はあるだろうが、
私としては、これは満足のいく絵に仕上がった。

今回の絵を描き出すときから、満足のいく絵に仕上げることが目標で、毎日その決意を固めて取り組んだ。
だから、途中、まとまらなくなったとき、中途半端に仕上げることを許すことはできなくて、大きな賭けに出て、新たな気持ちで描き出した。
執念でかきあげた絵だ。

希望を伝えることができる絵になったと、自負している。
| 2007/04/01 13:49 | | COMMENT(1) | TRACKBACK(0) | TOP↑ |
ウィンクするトラフずくの子どものまぶた
私は、もともと、絵がうまくない。
ぱって、なんかの絵を描いてっていわれて描くものは
超下手で、はっきりいって笑える。
だから、私が絵を描くときは、被写体とか写真とかが絶対いる。

というわけで、私は動物の写真集を結構もっている。

その中で、近くの本屋で買った「動物の親子」という写真集があって、
これは350枚くらいの動物の写真がのってる。

P1060398.jpg


かわいい、動物の赤ちゃんとか親子の写真があるから、
動物の絵を描くときや、ただ楽しむために、パラパラと眺める。

だけども、写真のなかで、どうしても好きになれないというか、
楽しい気分がこれ一枚で、なんかいやーな気分になる写真が
あって、それが、

「ウィンクするトラフずくの子どものまぶた」の写真。

P1060396.jpg



ふくろうなのかな、この瞼が、はっきりゆって、気持ちわるい。
私は、動物の個性の外見を”気持ち悪い”ということが
なんか良心がいたんで、だって、その動物はそのものを持って
生まれてきてるわけだから、それを”気持ち悪い”ということは
なんかよくないことのような気がして。。

人間だって、「平面的な顔のつくりが気持ち悪い」とか
「爪のかたちが気持ち悪い」とかそういうのを言われたら
どうしようもないわけで、
やから、極力、蛇とかのヌルッした体とか、蛙のあの指とか
そういうものも、見方をかえれば、本当に美しいとさえ思う。

だけども、この写真集をパラパラとめくってって、
不意打ちでこのふくろうの瞼に遭遇すると、あっ、やだ!
って、見なきゃよかったって、思ってしまう。

ほんとうに、だめ。

だから、どうしようかって、もうこのページは切ってしまおうか
とさえ考えたんだけども、一応付箋用紙をはりつけといた。

P1060399.jpg

| 2006/06/21 00:42 | 未分類 | COMMENT(4) | TRACKBACK(0) | TOP↑ |
「強さ」を求められてるような、そんな気がする
過去の思い出したくない思い出があって、
そのことで、ここ数年、本当にどん底まで悩まされてきた。

そして、今、やっとこさ、"過去"といえるようになった。

でも、それでなにやら、精神的な病に何時間も何日も何ヶ月も
侵されることはなくなったけれど、
一時的に、例えば数十秒、いや数分、数十分くらいは
ぼーーっと考えて、暗い気持ちになってしまうことはある。

そんな思いがどうやったらふっきれるかを、考えてる。

前までは、"過去"と向き合って戦って、自分を「愛してあげる」
というか、もういいよってそうあったかくしてあげることが
大事だったんだけども、
今は、「強さ」を求められてるような、そんな気がする。

どんな"過去"があっても、今があるんだから、
あの、恐ろしい経験とかそういうものを、斬っていくような
そんな強さが、私には求められてるんではないだろうか。

どんな人にも、それぞれ抱えてるもんがあって、
なあんもない人はそれはそれで寂しいものかもしれない。

日常のふとした風景が、ふっとトラウマと絡まったりして
思考停止になったり、でも、そういう思いが多少ありながら
日常が過ぎてく。 そんなんでもいいじゃないか。

友達と、お酒を飲みながら、今も、「ふっと思い出すよね」
って語り合う、そんなんでもいいじゃないかって、そう思ったり。

でも、まあ、こういう発想をもてるようになっただけでも、
本当に今は幸せだからだ、ってそう思う。


*************

たまにはこうやって、文章を書かないとだめだな、
どんどん、頭がばかになっていってる。。(・д・;)


| 2006/06/20 04:24 | 未分類 | COMMENT(2) | TRACKBACK(0) | TOP↑ |
ナルニア国物語
久しぶりに、映画を観に行った。
ナイトショーだと、1200円で見ることができる。

ずっと、観に行きたかった「ナルニア国物語」。

感想としては、まあいまいち。
映像はすごくきれいだったし、動物がリアルに話すというカタチが
すごく楽しかったけれども、いまいち、何が言いたいのかわからない。

ストーリーは陳腐なのに、自然の姿が映像が美しい、というそのギャップが
退屈な気持ちにさせられた。
悪と善の戦いならば、善について、もっと凛々しく芯のあるメッセージ性を
持たせてほしいと、思う。 

*****

年齢を重ねていくにつれて、世界が色々と変わっていく。
私は、若いときの社会よりも、年齢を重ねて知り合う人たちのほうが好きだ。
年をとらないと、わからないことは絶対にあるわけで、
年をとると、ある種の「経験」というものを人はしてゆく。
そういって背負ってきたものを通して人は分かり合える。
また、自分の目指す方向というものが明らかになってゆくので、
方向を同じくするもの同士に、絆が結ばれていく。

言葉ではなく、心がひしひしと感じる。
この人は、私の人生で失いたくないなーと思う人の出会いがあり、
そこに、自分が生きてきたことへの誇りがうまれる。

出会いを大切にしたい。

| 2006/04/05 00:31 | 映画 | COMMENT(4) | TRACKBACK(0) | TOP↑ |
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